結局全部エゴだ
覚悟を決めた理由は人にあるが人の所為には出来ない
仮に腹の中のこいつに責められたとすれば100パーセント私が悪い、
生殖し、出生するとはそういうことだ

 

自身において産まれて幸せだったか、と聞かれたら
迷わず幸せとは答えられない
生きてきて幸せだったか、と聞かれたらそれは幸せだと胸を張って言える、
しかしそれも今現在の結果に基づいてるだけだし
この10秒後答えが変わる可能性は充分ある

人間は河童ではないので正当に10ヶ月腹に居れば拒否権なしに産まれる、
しかし私はそれを悲しまない、
それはある思想の人間にはとても恐ろしい事だろうと思う
人に死を与えて悲しまない人間を、怖がるのは普通の事だ
自らにも危害が及ぶ可能性を感じてしまうから

しかし私は拒否権なしに産まれる命に対して悲しみは持たない
悲しむ事も喜ぶ事もただのエゴだと思う
ただ人は生まれて死ぬだけで意味は無いと思っている
生殖し、出生した生き物に出来る事はある程度提示されており、
皆ある程度そのとおりに動く
そして些細な事で感動し、喜び、苦悩し、憎しみ、悲しむ
自分自身は高等な生き物ではないと思っており、
哺乳類である以上産んだら乳をやり、社会性を育てるのみだと
そういう気持ちしか湧かない
自分自身がこうやってキーボードを打てるのも、文章を書けるのも
人間だからということだけで
猫が毛づくろいをするのと何も変わらない
キーボードが打てない人間が居る、毛づくろいをしない猫がいる
ある程度の違いがあるのみでそれも運と環境で左右されているだけだ

生き物は本当運と環境だけだなと思う
後は何も出来る事なんてない